摂津国八十八箇所巡拝8日目
2004年11月27日
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札所番号 | 寺院名 | ご本尊 | 所在地 | 巡拝方法 |
第17番 | 正祐寺 | 大日如来 | 大阪市天王寺区上本町 | 徒歩 |
第18番 | 宗恵院 | 大日如来 | 大阪市天王寺区生玉前町 | 徒歩 |
第19番 | 藤次寺(融通さん) | 宝生如来 | 大阪市天王寺区生玉町 | 徒歩 |
第20番 | 自性院(疳虫封じの寺) | 聖観世音菩薩 | 大阪市中央区中町 | 徒歩、JR環状線 |
第21番 | 報恩院(高津の北向き不動) | 不動明王 | 大阪市中央区高津 | 徒歩 |
第22番 | 持明院(縁切り寺) | 大日如来 | 大阪市天王寺区生玉町 | 徒歩 |
第23番 | 青蓮寺 | 金剛界大日如来 | 大阪市天王寺区生玉町 | 徒歩 |
第24番 | 真光院(六万体地蔵尊) | 阿弥陀如来 | 大阪市天王寺区夕陽丘町 | 徒歩 |
第26番 | 清水寺 | 11面千手観世音菩薩 | 大阪市天王寺区伶人町 | JR環状線、徒歩 |
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宗恵院から北へ直ぐの交差点を東へアンティークストリートに突き当たり正面右手に見える観音像が目印(10分ほどの移動時間) | |
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聖徳太子草創の寺と言われています、由緒有るお寺も昭和20年の空襲で壊滅しましたが、昭和38年に再建されました。 境内には2基の多宝塔が庭園の左右に配置されており、枯山水を際立たせています。 |
宗恵院 | |
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23番青蓮寺を出て西へ直ぐで谷町筋へ出ます、北へしばらく歩くと道路向かいに面しています。 外観はお寺らしからぬ、ビルになっています。 |
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藤次寺 | |
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生玉魂神社山道沿いに有る第22番持明院をお参りいして、さらに生玉魂神社をお参りし裏山道から東に行き谷町筋に出て北上直ぐに藤次寺に付きます。当寺は弘仁年間(810〜24)藤原冬嗣公の発願により建立されたと伝わる、藤原氏を治めるために建立された寺であるので「藤治寺」と号し、藤原氏一問の祈願寺として栄えてきた。明治20年の廃仏毀釈によって生玉十坊が生玉宮を出た際に、十坊の一つ地蔵院を併合して「藤次寺」と名を改めた。昭和20年の空襲では全焼の不運にみまわれたが昭和35年に戦後に当たらない寺院に再現した。地下鉄谷町9丁目から直ぐに有る事からお参りの人が絶えない状態だが、88箇所巡拝者には会わず。 | |
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境内には弘法大師像、お不動さん、お稲荷さんなどの祠が有り綺麗に手入れされ、気持ち良くお参りが出来ました。 |
自性院 | |
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山門前のもっちゃんと本堂前のもっちゃん2、境内は小さく本堂から右は直ぐにお墓になっています。 | |
報恩院 | |
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藤次寺をお参りしさらに谷町筋を北上し千日前筋と交差するところが、地下鉄谷町9丁目駅になります。この交差点を北上し最初の交差点で左折、一辻目を過ぎると報恩院が見えてきます。当寺も第二次大戦の戦火によって全焼の不運にみまわれ、古記録類、寺宝など全てを焼失してしまった。寺歴など詳しい事は判らないが、中興開基の墓石に刻まれた文字などによって、一応創建を寛文年間(1661〜73)としている。山門横の入り口から境内にはいると、正面に制多迦童子、矜ガ羅童子に従われた水かけ不動尊が有る。この不動尊は「高津の北向き不動」と称されて親しまれている、この北向き不動は不思議な事に夢で導かれて参詣する人がいまだに絶えず、またの名を「夢見せ不動」とも呼ばれる。 |
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境内から本堂方向を見た風景、中央に太い木の幹が写っているが「相生の樟」と呼ばれて、寺の目印になっていたが、戦災により枯死してしまった、この木を背にまつられているのが、「北向き不動」である。 | |
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樟の木を背にした「北向き不動」、木をはさんで南側にも同じ童子を従えた水かけ不動が有る、この不動尊は風化がひどいが、創建当寺のものと言われ、約三百数十年前のものと伝えられる。境内には「役の行者像」もまつられている。 | |
持明院 | |
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第18番宗恵院から谷町筋を北上して生玉魂神社前の横断歩道を左折、そのまま直進すれば神社に行き当たります、その手前右道路沿いに持明院は有ります。当寺は草創の頃は生玉十坊の一つで「曼荼羅院」と呼ばれ生玉宮に有った。山門左手のお堂は卯之日大明神(縁結びの神)橋姫大明神(縁切りの神)を合祀する、昔から無量寺の灸、藤次寺の融通さん、持明院の縁切り縁結びとして有名で、今でも三角関係の”縁切り”若い男女の"縁結び”等人生の切実な問題に対して全国から参拝者が絶えない | |
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本堂近景と境内から本堂方向を望む | |
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江戸中期の俳人滝瓢水の墓石と子育て地蔵、卯之日大明神、橋姫大明神を合祀するお堂 | |
青蓮寺 | |
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ここはJR天王寺駅から谷町筋に出て四天王寺を右手に見ながら清水寺、真光院を経て天王寺区民センターを左折して直ぐのところに有り、真光院から5、6分で着きます。当寺の縁由をたどれば、推古天皇の御宇(593〜628)に聖徳太子が鴫野に志宜山法案寺を創建された時にさかのぼる、天正11年(1583)豊臣秀吉の大阪城築城の際、当地を城の二の丸に明け渡し、法案寺および生玉宮は現在の生玉魂神社(生玉町)の地に移転した、法案寺は生玉宮寺として生玉宮を統括し当寺の前身の遍照院・医王院など塔頭九院を合わせて「生玉十坊」と呼ばれるようになる。明治維新の廃仏毀釈の際、生玉十坊は生玉今神社の地を追われ、いくつかの寺は一時は維持状態にも陥った、明治3年8月遍照・医王の両院の檀徒は当時茶臼山の東に有った青蓮寺に転属した。後に檀徒の協力を得て当地へ移転し、吉祥山青蓮寺と号して再興された。その後戦災で堂宇は焼失し、戦後鉄筋コンクリートの本堂が再建された。本堂裏手に有る墓所の中に「仮名手本忠臣蔵」などの名作で知られる戯作者・竹田出雲の墓も有り、大阪市の史跡に指定されている。左の写真の中央の墓に「文明院岑松立顕居士」とあるのが竹田出雲の戒名だそうです。 |
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この写真を見て何かを思い出しませんか?赤穂浪士の衣装ですね、青蓮寺の筋向いに有る吉祥寺で赤穂義士の寺として大阪の名所に指定されています。 | |
真光院 | |
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当寺は六万体地蔵安置の寺とも言われ、当寺およびこの周辺の土中には六万対のお地蔵さまが埋まっていると言われている、天王寺区六万体町と言う地名は、この六万体地蔵に由来する。この六万体地蔵も第二次大戦の際に焼失した。戦後、石地蔵を建立し六万体地蔵と名づけ、地中から発見された5体の地蔵尊とともに境内に奉安した。 | |
清水寺 | |
8日目の巡拝はJR天王寺駅を10時30分に出発して始まりました、天王寺駅から谷町筋を北上し九ヶ寺を巡ります、まず向かったのが四天王寺の真横に有る第26番清水寺です、駅からは15分ほどで着きます。当寺は四天王寺の支院であり、十一面千手観音霊験の地、抜苦与楽の宝刹、住古の精舎神窟の跡と伝えられ、浪速名所の随一に数えられている。元は有珠寺とよんでいたが、寛永17年(1640)に中興延海阿者梨が、京都東山清水寺に模して改構したものである。 | |
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境内に有る子育て地蔵、また本堂前階段をくだり納経所の先に有る玉出の滝、大阪市内で唯一つの天然の滝である。その水源は四天王寺金堂下に有る青竜池と言うわれ、300mはなれた地下を流れて、ここに滝となっているので有る。その奥の石窟の中に、不動明王石仏、二童子、八大龍王神などがおまつりしてある。 |