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2006年(平成18年)の集印

2006年12月11日 神宮寺

ここ丹生は奈良時代の和銅年間(708〜724)に水銀が発見されてから次第に繁栄し賑やかになりました。当山は宝亀5年(774)光仁天皇の勅願により、空海の(弘法大師)の師である勤操大徳によって開創されました。弘仁年中(810〜824)唐から帰国した空海は諸国を巡拝し当山にも立ち寄りました。そのとき本堂(観音堂))の梁に勤操大徳創立と有るのを見て不思議な縁と感激し、「既に高野山に伽藍建立を考えているが、まずこの地に仏閣を建立し衆生を救わん」と発願されました。そして弘仁6年(815)に七堂伽藍が完成されたのです。大師堂の本尊である弘法大師像は、大師41歳の自画像で衆生の厄除けと未来結縁の為に、自ら刻んで安置されたものです。


 
古めかしい山門                    本堂へ向かう階段と趣のある白壁
 
本堂(観音堂)                         大師堂    

2006年5月27日 龍潭寺

結婚式の翌日帰る前に観光をして帰りました、浜名湖の北方にある竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)を見学し三ケ日インターへ戻る途中に有る、龍潭寺にお参りしました。当寺は蔓松山龍潭寺と称し、今より1300年前天平5年(733)行基菩薩により開創された古刹である。寛治7年(1093)遠江国守井伊共保公が井伊谷で逝去され当寺に葬られました。井伊氏はこれより500年間、戦国時代中期まで当地を治め、47代井伊直政公の時井伊谷より彦根の地に出世されますが、当寺は井伊家元祖からの菩提寺として、歴代の殿様に深く帰依してきました。本堂裏の庭園は小堀遠州作で、江戸時代初期に築かれた池泉鑑賞式庭園であり、東海一の名園と言われ国指定名称記念物に指定されています。


  
井伊家の菩提寺立派な寺院でした
   
次男と義母と家内                 本堂から仁王門方面      開山堂
 
左甚五郎作の龍               井伊家の系図

小堀遠州作の庭園重なりが有りますがほぼ全景です

2006年5月27日 五社神社(浜松)

今日は浜松の五社神社で次男が結婚式を挙げました、五社神社は国主久野越中の神曳馬城(浜松城)内に奉斎する。徳川家康公浜松城に入り、天正7年4月7日秀忠公城内にて誕生。産土神として崇敬し、天正8年常寒山(現在地)に社殿建立遷座する。寛永11年家光公上洛の節、社参奉幣徳川家康公を合祀し3百石の朱印を奉る。大正3年国宝建造物に指定される。この様に由緒有る神社で結婚式を挙げる事が出来ました。息子が浜松に移り住み子供達の中で一番遠くになりましたが、今回新しい家族が増え、また浜松への訪問の楽しみが増えてきました。

   
徳川家康公も祭られている五社神社
 
  五社神社由緒                     義母も参列してくれました

2006年4月28日 大縣神社

犬山市に有る大縣神社にお参りしました、17時半を過ぎていたので社務所がしまっておりご朱印は頂けませんでした。古来より事業繁栄、開運厄除の守護神として人々の信仰厚く尾張二宮と称されている。ご社殿は尾張藩主二代目徳川光友公後再建で尾張造のの構造様式を的確に伝え、国の重要文化財に指定されている。愛知県に長い事住みながらお参りしたのは初めてです。