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神仏霊場巡拝17日目(2012年8月19日)

京都北山界隈の神仏霊場をお参りした。家内が義母の介護をしている為に一緒に出かけることができるのは、日曜日しかないので日曜日になると今日は気晴らしにお参りに行こうかと行き先を検討し夕方に帰宅出来る行き先を選び出来るだけたくさんのお参り先を選んでいる。今回は北区に有る「平野神社」「北野天満宮」「金閣寺」「今宮神社」のお参りをした。
平野神社
平野神社は、もともと奈良の平城京に在った田村後宮という皇后さまの御殿の中にありました。そして皇城や都の災いを鎮めお守りしていました。794年に奈良から京都へ都が移ったと時を同じくして、この地に鎮座しました。つまり794年に桓武天皇のお引っ越しと同時に平安京に遷ったのです。こんな風に遷都と同時に神社ごと一緒に移ってきたのは沢山ある京都の神社の中でも平野神社だけなのです。と公式ホームページに有ります。
広々とした境内 山門を超え拝殿に至る
拝殿殿 本殿を望む
北野天満宮

北野天満宮は、、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、親しみを込めて「j北野の天神さま」と呼ばれています。平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。と公式ホームページにあります。

中門を過ぎ本殿に至る 本殿前で
たくさんのお参りの方が列をなす 本殿内陣
本殿側面から 立派な彫刻、彩色がなされる
本殿前に干されている梅 おいしそうに干し上がっていた
金閣寺
式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。と公式ホームページにあります。
総門前にてもっちゃん2 総門をはいると落ち着いた空間が
総門に掲げられた五戒 自然の中に溶け込んだ金閣
陸船の松 鯉が登らんとしている龍門滝
今宮神社
994(正暦5)年、京都に疫病が流行したとき、それを鎮めるために船岡山に疫神社が建ったのが始まりといわれている。「阿保賢さん」と呼ばれる石が祀ってあり、この石をまず三回叩いて持ち上げ、次に願い事をしながら三回撫でて持ち上げる。後の方が軽く感じたら、その願い事が叶うという。と観光ガイドにある。
堂々とした楼門 広い境内には摂末社がたくさん祀られる
拝殿があるがお参りは本殿で 堂々とした本殿
本殿横に疫社がある 境内に祀られる地主神社