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被災地支援 ボランティア活動に参加
2012年8月3日〜8月6日

 私の家内は「生活協同組合=生協=COOP」の会員として、長期にわたり購入を続けている。その生協の活動の中で「ボランティアバス」の企画があり現在5回ほど続けていると、案内チラシを見せられた。これから先あと12回開催することになってるということが分かり、参加したらと勧められした。
 内容を確認すると1日目夕方京橋を出発、14時間ほどかけて岩手県に到着その後朝方から夕方までボランティア活動を2日間行い3日目の夕方岩手を出発4日目に京橋まで帰るスケジュールである。
 最初は躊躇していたが、自分で行こうと思っても実現にはたくさんのハードルがあり 、行くこともなく行きたいの思いだけが残ってしまうと考え、思い切って8月3日〜6日の予定で申し込んだ。運よく人数枠内に当選しボランティアが実現した。以下に写真を含め参加体験談を報告していく。
スケジュール
8月3日(金) 集合(パルコーポ 京橋本部)
18:00〜
オリエンテーション 責任者から頑張るつもりだろうが、頑張りすぎないようにと言われ少し気が楽になる その後出発 
8月4日(土) 東北自動車道経由陸前高田市へ
10:00〜 ボランティア活動、語り部の方による案内と現地視察 17時ごろ宿に入る
19:00〜 朝市会場でのお祭り(行燈七夕)に参加、被災地の方々と交流
8月5日(日) 朝市での買い物と交流、ボランティア活動
9:00〜 朝市会場で買い物交流
10:00〜 ボランティア活動開始
14:30 作業終了、現地出発
17:30 一関桃の湯温泉にて汗を流す
19:00 大阪に向かい出発
8月6日(月) 名神高速経由京橋へ
8:00 到着(パルコーポ 京橋本部)
   
ボランティア活動と感想  8月4日の活動は朝市会場でお祭りがおこなわれるための準備の応援に行った、お祭り準備がボランティアにどのように結びつくのか多少疑問はあったが、まずは与えられた活動に取り組むのみと活動を始めた。会場の準備も多くのことがなく、その後の時間は朝市に出展されている地元の方々と話をすることができた。
 陸前高田の町は報道で知っていた通り町のすべての建物が流失し、今ではがれきの撤去も進み何もない更地になっていた。朝市会場は仮設のスーパーや商店、銀行などができている一角に位置づけられ20店弱がテントや仮設の店を出している。それぞれの店主の方々皆さんが家や家族を流され何もない中から再出発をしている。ただ皆さん明るい絵顔で接していただけたのが、われわれの救いであった。異口同音に「くよくよしても仕方ない、がんばっぺ」と言いながら取り組んでいた。
 地元では震災の事実が忘れ去られていくのではと、心配し気にしている、われわれの訪問に対し1年以上たったのに来てくれることがいうれしいと喜んで頂いた。帰りにはまた来てくださいと言われ、皆さんの元気な姿に会いたいと思い2回目の活動に参加をしたいと決意をした。
魚屋の御主人車1台が残り移動販売をしている 花屋の御夫婦、花は持って帰れませんでした 
家を流された乾物屋さん  仮設の洋品屋さんもありました 
お祭り風景    8月8日には陸前高田の祭り「行燈七夕」が行われるということであったが、殆どの山車が流されて現存するものが1台しかない、現在もう1台を新作中という話があった。ここ朝市会場には手作りの行燈七夕が飾られていた。この山車は多くの引き手で練り歩くようだが今年は引き手がいなく飾るだけという話があった。
 朝市広場のお祭りには東京の「和太鼓タヲ」さんが慰問に来ており華麗な太鼓演奏をしていた。また地元の方々も太鼓演奏に加わり共演する中で交流を深めていた。交流することもボランティアの大きな仕事だと感じた。また朝市やお祭りに参加して商品を購入し支援することも大事な活動だと感じた。和太鼓タヲさんのホームページURLは以下です。http://www.tawoo.tv/
朝市会場の行燈七夕(昼間)  朝市会場の行燈七夕(夜間)
流されなかった大石集落の山車 各地からの支援により新造中の山車
和太鼓タヲさんの演奏 演奏を聞き入る地元の方々
タヲさん地元の方々ボランティアも一緒に 地元の方とボランティアの共演(夜間)
現地視察   御自身のお宅も流され体験を通じ陸前高田に訪れたボランティアに現地視察と案内をして頂いている、釘子さんと言われる方にお話しを聞かせて頂く。
 陸前高田には数多くの避難者があった、避難所に逃れた方は殆ど亡くなっている。避難所が本当に大丈夫か自分自身で見極めを行い、いざのときには自分で判断し津波に対してはとにかく高いところを目指し逃げることであると、力説されていた。
 また我々が大阪に帰った時にどこに避難所があるのか、その避難所は大丈夫か等自分で見極めるよう強く教えられた。
 また今回の災害で亡くなった方の中には地震が発生し避難所に逃げたが、忘れもの、ペット、子供や家族が心配になり家に戻った時に津波に遭遇した等のことで亡くなる方が多かったと教えられ、安全な場所に逃れたら元には戻らないことが重要なポイントだと教えられた。
 御自身の御自宅の跡地を始め市内の被災場所に案内され説明を受けたが、今更ながら現場を見ることで津波が陸前高田のすべてを飲み込んだ姿を実感し胸が詰まり目頭が熱くなった。1年以上経過した今ではがれきもかなり片づけられ、更地になってきたが、はたして元の場所に住宅や商店が戻るのか?このような進行状態だと陸前高田市の復旧にはまだまだ時間がかかると感じた。現地の方々が忘れないでほしいと願う気持ちが少しは理解出来てきた。
車窓からがれきの先に一本松が 草抜きをした長部グランドに慰霊碑がある 
かなり進んだがまだがれきが残る 中央高田病院はまだ撤去されず
体育館の無残な姿 内部にはがれきの山、助かったのは3名のみ
市役所全滅、機能せず 市役所玄関前には千羽鶴花が絶えない
 
語り部さんの自宅跡、左土台上に家屋があった 左丘の上まで津波が来た
左赤い杭の高さまで津波が来た、先端に目線を合わすと見える範囲すべて津波で飲まれた
ボランティア活動   2日間の短い時間であったが、事務局と、地元の方々との打合せで生協グループのボランティア内容が決められている。
今回対応したのは
@祭りの準備応援
A小学校グランドへ芝貼りを以前に対応しており、雑草が生えてきたので、芝生の雑草取り
B朝市での買い物で復興支援
C地元の方が作っている畑の草抜きなどを行った。
 祭り準備応援、朝市については前で報告しているので、ここでは草抜き関係の報告をする。
地元の方が作っている畑にはすぐに雑草が生える、草抜きも重労働で働き手が離れていく現状で人手がなく困っている、この方々の支援を地元の団体と一緒になり進めている。
グラウンド横の川へも津波が来る 芝生の雑草を抜いていく 
ふれあい広場で地元の方々が活動 左手公民館も作られている 
伸び放題の雑草 作業開始、鍬を使うことに
雑草がなくなりきれいになった畑 トマトやカボチャの下に麦わらで養生
仮設住宅   2日目の朝(5日)に矢作町に有る旅館の周辺の散歩に出かけた。近くにお寺や神社があったので、陸前高田市の早い復興を祈りお参りをした。
地元の氏神様「天照御祖神社」をお参りし本殿の裏手に小学校があったのでのぞいてみた。この地域は少し土地が高くなっているので津波は道路を挟み向い側の地域にに来たものの、免れたということだった。
 神社は小高い丘の上に位置しておりその裏手の学校も高台にある、学校をのぞくと「仮設住宅」が目に入ったので見学をしてきた。朝が早いのでほとんど人が居らなかったが、1軒のお宅で洗濯物を干しているお年寄りに会い声をかけた、不自由な生活を感じ何も言えずに、胸が詰まり「お元気でお過ごしください」と伝えその場を辞した。
 仮設住宅の建設にあたり皆さんは高台を希望されこのような場所にたくさんできたのだろうが、今になっては買い物をするにも、町に出かけるのも不自由な生活だろうとこの場に立ち実感した。
岩手20番とある観音寺  矢作村社天照御祖神社 
休止している大船渡線左側には津波が来る  赤に塗りつぶしたところまで津波が到達 
神社から見た学校と校庭に建つ仮設住宅 学校、仮設住宅は小高い丘の上に有る
校庭すべてに8棟、50世帯ほどが住んでいる 校庭は駐車場、運動会もできないのか