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明日香村を訪ねて
(2004年2月29日散策)

高松塚古墳  へ移動します
石舞台古墳  へ移動します
酒船石遺跡  へ移動します
飛鳥寺  へ移動します    

☆彡周辺マップ 下の地図が拡大します

☆彡高松塚古墳

高松塚古墳には壷坂寺(西国第六番)から岡寺への移動の途中で近鉄飛鳥駅付近を通過中に家内が「高松塚古墳があるから寄って行こう」と言うことになり散策する事にしました。立ち寄ると雨の降りそうなしっとりした気候も手伝い落着いて風情の有る風景でした、今回は西国巡拝が主でしたので、時間が十分に取れずに狭い範囲を散策しましたのでもう一度じっくり時間をかけて行きたいと思いました、その時にはもっと紙面が充実出来ると思います。
在団法人飛鳥保存財団パンフレットから
高松塚古墳壁画は昭和47年3月、橿原考古学研究所の調査により発見されました。その後壁画は国宝に指定され、保存上一切公開されませんので、古墳の隣接地に壁画館を建設し石槨(せっかく)内部の模型と壁画の忠実な模写・模造をを展示することになったものです。古代史解明の貴重な文化財として海外からも広く注目を浴びている壁画をあらゆる角度から鮮かに再現した技術力の結集をごゆっくりご鑑賞下さい。現地で見る程迫力は無いかも判りませんが、少しは高松塚古墳に触れて頂けると思います。

石槨内壁画 下の絵が拡大します


副葬品

発掘時、石槨内から出土したものは怪獣葡萄鏡、銀荘唐様太刀の外装具ガラス、コハク製の玉類のほか、棺を飾っていた金銅製すかし金具、円形飾金具、銅製角釘など、いずれも美術工芸史上貴重な資料です。

●副葬品模造
発掘の際発見された鏡、太刀飾金具類等棺関係遺物の一部を模造し展示しています。

  
   高松塚古墳周辺は公園として整備されています 古墳はこの様にコンクリートで覆われ空調完備です
   
   古墳の近くには文武天皇陵が有ります他の天皇陵と外観は変わりません

☆彡石舞台古墳

石舞台古墳はこんなに大きかったとはびっくりしました、たまに写真で見たり、TVドラマで見た印象では大きさが計り知れませんでした、今回実際に見てあまりの大きさに驚きました。

財団法人 明日香村観光開発公社 パンフレットから

石舞台古墳は、横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀の始め頃と推定されます。すでに古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で実権を握った蘇我馬子の墓では無いかと言われています。
石舞台古墳はこんなに大きかったとはびっくりしました、たまに写真で見たり、TVドラマで見た印象では大きさが計り知れませんでした、今回実際に見てあまりの大きさに驚きました。

財団法人 明日香村観光開発公社 パンフレットから

石舞台古墳は、横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀の始め頃と推定されます。すでに古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で実権を握った蘇我馬子の墓では無いかと言われています。

  
   いたるところにこの様な案内板があります          こんなに巨大な石を組んでいます
    
     石室内方向        石室内から      こんな石棺が有った様です 残念ながら桜はまだです

☆彡酒船石遺跡

この遺跡が発見された時に岡の上から水を流しこの遺跡で何をするのかと不思議に思いましたその印象があったので最初に岡の上の遺跡を見たときに、この下の方に亀の形の遺跡があると思い下に下りていきました、そこには以前記憶にある遺跡と大きく規模が違う発掘が進んだ遺跡を見る事が出来ました、おまけにボランティアの方が親切に説明して頂きより深くこの遺跡に触れることが出来ました。

財団法人 明日香村観光開発公社 パンフレットから

土木工事を好んだと言う女帝、斉明天皇。まさにその時代を彷彿とさせるのが酒船石遺跡で、砂岩石垣や亀形石造物等の遺構が検出されています。亀形石造物周辺は、導水構造と立地から祭祀空間と想定され、多くの謎に包まれた石と水の都・飛鳥を体感出来る場所と言えます。平成4年に丘陵北斜面で砂岩石垣が発見された事から、『日本書紀』の斉明天皇2年の条に記された「宮の東の山に石を累ねて(かさねて)垣とす。」「石の山丘」に符合(ふごう)する遺跡であると推定されています。
平成12年の丘陵北裾でで行った発掘調査で、新たに亀形石造物、小判形石造物が見つかっています。

 

 
 
上の写真の亀形石造物の丸の内径が2m位有りますので、この遺跡の大きさが全体図で想像
出来ると思います。

  
 案内板があります                        酒船石           亀形石造
   
     亀形拡大        渦巻き型の配列      ボランティアの方、資料持参で熱心でした

☆彡飛鳥寺

酒船石遺跡を散策した後岡寺まで戻ろうとした時に、飛鳥寺の案内板を見つけました、それには「飛鳥寺まで2分」とあります、家内とすぐそこみたいだから寄って行こう、と巡拝することにしました。2分では行けませんでしたが、すぐそこにありました。飛鳥寺と名前は聞いたことはあったのですがお寺が存在せず廃寺か跡地になっているのではと思っていただけに、飛鳥時代から皆を見守り助け続けて頂いた『飛鳥大仏』の存在を知り驚きました。


飛鳥寺は第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第34代推古天皇4年(596)に創建された日本最古の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。近年(昭和31年)の発掘調査により、創建時は塔を中心に東西にそれぞれ金堂を配しその外側に回廊をめぐらしさらに講堂を含む壮大な伽藍であった。本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)は、推古天皇14年(606)天皇が詔して鞍作鳥仏師に作らせた日本最古の仏像である。旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)の火災によって消失し、室町以降は荒廃したが、寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建され今日に至る。

   
   飛鳥寺遠景        工事中の山門付近      1400年も昔の大仏落着いたお顔でした
  

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