大阪の寺院巡りへ戻る

平成22年の集印

平成22年12月3日 住吉神社(寝屋川えびす)

夕方からの会合に向け、寝屋川駅から目的地まで歩いて行った。途中住吉神社の銀杏が鮮やかに色づいていたので、お参りがてら写真を写してきた。このように絨毯を敷き詰めた阿様な落ち葉は久しぶりの光景だった。ここは寝屋川えびすとして近郊では有名で、1月9日から11日は1年のかなりのお参りが集中する時期になる。
周りの風景とは少し違う眺め 境内は絨毯を敷き詰めたよう
拝殿も見事な絨毯 いいことを書いてました


平成22年11月20日 少彦名神社

大阪北浜に友人の銅版画展示会を見学に行った。展示会を見終わり淀屋橋まで歩いて帰ることにした。道修町あたりを歩いていると通りを飾り付けているのが気になり様子を見がてら通りを歩いていると、少彦名神社に出合った。神社は神農さんという方が有名かもしれない。私もうっすらと聞いたことがある名前だった。以下は神社公式HPからお借りしました。当神社は、日本の薬祖神である少彦名命とともに、中国で医薬の神様、神農氏をお祀りしているところから「神農さん(しんのうさん)」で親しまれています。神農祭の両日は、道修町通り(御堂筋と堺筋に挟まれた区域)に、くす玉飾り献灯提灯が建ち、たくさんの露天がびっしりと軒を並べ、神虎(張子の虎)を求める参拝者で、終日にぎわっています。とあるように11月22-23日が神農祭だったのですが、2日早くお参りしたので、出くわしませんでした。
通り全体を飾っている 神農祭の飾り
通りからは神社と思えない 拝殿
拝殿内陣 谷崎純一郎が道修町を舞台に書いた
「春琴抄」の碑がある

平成22年11月14日 日根神社

かんさい塔街道第12番慈眼院のお参りを済ませ境内からすぐ隣に神社があり、七五三のお参りをしている姿が見えた。このように見せていただけるのは何かのご縁とお参りをすることにした。
慈眼院すぐ隣に鳥居がある 少し階段を上ると山門(?)
拝殿全景 拝殿近景

平成22年9月5日 勝尾寺巡り

勝尾寺は過去何度かお参りをしている、今回は西国33か所などの札所めぐりでなく勝尾寺をじっくり巡ろうと行ってきた。ここは勝ち運祈願など勝負にご利益があるお寺で、境内には勝運だるまがたくさん奉納されている。また西国33か所23番札所と、法然上人25霊場の第5番札所になっている。納経所をのぞいてみると、法然上人25霊場の解説書があったので、それを求め検討することにした。残念ながら勝尾寺には専用の御朱印帳がおいていないので、紹介頂いた知恩院に行ったときに御朱印帳を見せていただきその後巡拝開始をと考えている。
休憩所からの眺め 堂々とした山門前で
山門の右手にはお迎え地蔵さんがある 多宝塔の下には一眼不動さんが
本堂に向かい階段を上ると勝ちだるまが 本堂左手には日本最初といわれる三宝荒神が
開山堂が本堂左手にある 本堂隣には大師堂が並ぶ
本堂右手山中腹に法然上人が祀られる二階堂 二階堂右下にそびえる多宝塔

平成22年9月2日 大坂枚方界隈史跡巡り

大坂枚方市界隈の史跡巡りに参加した、その中でも神社、寺院を8か所廻ったが神社は住職が居らず門を閉ざしたお寺の多さにびっくりした。霊場の札所でない限り住職や寺院関係者が常時詰めているのはないことだと思うが、このような街中のお寺の維持は難しいのだろうと、参加者と話をした。結局8か所のお参りをしたが御朱印を頂けたのは百済王神社のみであった。
百済王神社
百済王、牛頭天皇(須佐のウ男尊)がご祭神
拝殿の扁額 摂社:若宮八幡神宮
摂社:浮島神社 摂社:相殿社
淨蓮寺
慶長16年開基 本尊阿弥陀如来 S14年火薬大爆発で全壊、地蔵堂のみ残る
真光寺
永禄2年道場を創建 本尊阿弥陀如来 元禄7年笠井、S14爆発で全壊S16年再建
和田寺
通りに面するが見落としそうな山門 本尊薬師如来は聖徳太子の作と伝わる
御狩野神社
寛文年間屋敷神の社を移し、産土神として祀る ご祭神:大鷦鷯の尊、進雄尊、百済王
西方寺
山門は閉ざされ入山できず 隙間より本堂を拝んだ
浄専寺
江戸時代に創建S14年大爆発で焼失 S31年に再建される 本尊阿弥陀如来
真浄寺
慶長年間に創立 門は閉ざされていた ひっそりとした本堂

平成22年8月27日 佐和良義神社、八幡宮

母が入所している施設を訪ね豊中市に行った、用事が済み帰り道にいつもと違う裏道を通ったが、その時ナビの中に佐和良義神社の名前を見つけすぐ近くなのでお参りをしてきた。下に有るように由緒書きによるとご祭神は「迦具土の神」当社は延喜式神名帳に記載された式内社で沢良宜郷の通称「大宮さん」でありますと。又境内にある八幡宮は沢良宜城の鎮守社で600年前足利時代城館があった地に建立されたようです。
佐和良義神社
佐和良義神社石柱(大正13年の銘があった) 拝殿全景、落ち着いた雰囲気
神殿の映像 由緒書き
八幡宮
八幡宮鳥居 八幡の八幡さんに向かって拝める

平成22年8月27日 磐船神社岩窟巡り

大阪府交野市(北部)にある磐船神社をお参りした。公式HPによると由来として以下の記述がある「物部氏の遠祖神(とおつみおや)天孫饒速日命をお祀りする神社です天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です十種瑞宝鎮魂は日本の祈祷の根本であり、饒速日尊が天照大神より授かり伝えたものです御神体や行場岩窟をはじめとする巨石群は古代の磐座祭祀を現代に伝え、古代の人々と同じ空間を体感できる場です又境内には岩窟巡りがありこれもHPによると「磐船神社の岩窟は古来より神道家や修験道の行場として知られ、多数の巨石が形作る岩窟は或るところは広い洞窟を成し、或るところは人一人がやっとくぐり抜けられるような狭い穴のようになっており、中には天野川が流れ込み急流となり岩を削り、特別な行法を知らない人でも岩窟巡りをするだけでも行になると言われる所です。まさに神業とも言えるこの岩窟は、現在一般の方でも拝観していただけるようになっていますが、昔のままの姿を保つため、必要最低限の安全措置しか講じておりません。そこで拝観者には次のような事を守っていただきます。 」とある。家内と二人で岩窟を巡り天孫降臨の地を体感してきた。

 
H13年の御朱印には天孫降臨の地とある
磐船神社全景社務所がきれいになっている 神社正面にて
岩窟巡りの入り口 いよいよ岩窟へ入ります
巨岩がごろごろあり目をみはります 岩戸大神などが祀られる山上

平成22年6月3日 枚方史跡巡り

定年退職者の会が行っている史跡巡りに久し振りに参加した。ちょうど仕事と重なり参加できなかったが、今回は何とか調整して参加できることになった。快晴の中少し暑さを感じる史跡巡りであった。大阪府枚方市の北西部の淀川堤防近辺の散策を行った。
誓願寺
810〜823年間に空海創建 本尊阿弥陀如来
八幡神社
1617年領主大納言日野氏により勧請 ご祭神誉田別命
正光寺
神仏分離令で八幡神社の観音堂が移された ご本尊阿弥陀如来
淨行寺
外観的には教会を思わせる 鐘もモダンなデザイン

平成22年5月23日 塔街道家原寺

関西塔街道のパンフレットはあちらこちらで見ていたが、西国薬師第15番家原寺をお参りした時に寺院の方と話をしていたときに進められ、ここが第1番であることから専用の宝印帳を求めスタートをした。
 
近年に再建された三重の塔

平成22年5月23日 野々上神社

西国薬師第14番野中寺(やちゅうじ)をお参りした時にすぐ隣に神社がありお参りをした、八幡大菩薩が祭神の神社であった
雨にぬれ緑が鮮やか 拝殿

平成22年3月19日 堤根神社

今日は温かく隣の駅(大和田)近くまで歩き用事をしてきた、帰り道にいつもは通らない通りに向かったら、立派な鳥居が見えてきたのでお参りをしようと立ち寄った。
門真市宮野町にあり、淀川の支流・古川の南岸のかつての茨田堤の際に鎮座する。旧社格は村社。祭神は彦八井耳命・菅原道真である。茨田堤築造に関係の深い茨田氏が、堤の鎮守として祖神・彦八井耳命を祀ったものと伝えられる。
文政2年(1819)の銘がある鳥居 堤根神社と茨田(まんだ)堤の由来
梅が残る参道 本殿全景
本殿横に蛭子社、稲荷社等が祀られる 八幡大菩薩、九頭大明神とある
本殿後方に三宝神、宅神 三宝神、宅神のご祭神
境内横にある茨田堤後 大阪市の史跡として保存されている

平成22年2月7日 天神社

近畿36不動尊第4番京善寺をお参りの為に夕陽が丘愛染堂から歩いてきたが、京善寺のすぎ隣に天神社を見つけさっそくお参りをした。このように目的のお寺や神社に行くときに道中に神社やお寺があるとお参りをして目的地に行くことにしている。これも何かのご縁だと思う。
参道が公園になっている 天神社正面
拝殿 境内に祀られる菊姫大明神
境内に祀られる八幡宮 天満宮遙拝所

平成22年2月7日 大江神社

市天王寺夕陽が丘にある自然道をお参りしたが、すぐ隣に大江神社があった。これも何かのご縁とお参りをしてきた。ここは小高い丘にあり夕日がきれいなことから夕陽が丘といわれるようになったといわれている。また境内に狛虎があり、阪神タイガースファンがよくお参りするとのことで、2002年に1人のファンがお参りし祈願して翌年優勝につながったという事が紹介されていた。ご朱印にも狛虎の絵が押されるようになっている。
愛染堂隣にある大江神社 本殿 ご本尊豊受大神
愛染坂を登りきったところにある 境内には夕陽岡の碑が
阪神ファンが祈願する狛虎 2003年再建された吽形

平成22年1月31日 石切劔箭神社

義母が元気なころ(4〜5年前)毎年何度もお参りをした石切劔箭神社にお参りした。義母はその頃一人で石切神社をはじめ、京都伏見稲荷・石清水八幡宮、宝塚の清荒神どこでも一人でお参りをしていた、4年ほど前に体調を崩し、少し介護を要するようになり一人でのお参りが出来なくなった。今回ごく近くにある石切劔箭神社へ一緒に出かけお参りをした。雨が少し降ってきたためにお参りだけで終わったが、今まではその後参道の商店街へ立ち寄り買い物をしたり食事をするのがお参りの楽しみだったようだ。
石切神社は古くから「でんぼの神さん」として知られ、腫れ物などを治して下さる神様としても有名ですが、最近ではがんの回復のお願いなどの参拝客も多くいつもお百度を踏んでいる方が多い神社でもあります。
地下鉄中央線新石切側の参道 絵馬殿前にて
本社前でお百度を踏む参拝客 本殿近景
境内には沢山の摂末社がある 近鉄石切駅からの参道商店街

平成22年1月22日 河北大神宮

寝屋川外周探索の5日目南野橋を1時間ほど走った、寝屋川市で最南端にある河北大神宮と呼ばれる河北大神社をお参りした。今まで気がつかなかったが自転車で走る事でこの神社に出会えた。河北は、もとは河内屋北新田と呼ばれ、河内屋源七が宝永元年(1704)に新田開発を行って、宝永五年(1708)に完成させたものです。同時に河内屋源七は東大阪市日下町一帯も開拓しました。河内屋北新田に対して河内屋南新田と称しています。また、ここ河北大神宮の祭神は天照大神で産土神として鎮座しますが、この地は元は開発にも従事した人々の朝夕の集散場所であったといわれています。「河北」発祥ともいえる当地に氏神を祀り、新しい村の繁栄を願った先人の声が聞こえるようです。と案内板に書かれていました。
自転車の横の案内板にいわれが書いてある 大きな神木の奥に鳥居が
拝殿 拝殿の奥にこじんまりとした神殿がある

平成22年1月19日 寝屋神社

寝屋川外周探索の4日目北の端淀川河川敷公園から枚方市の境界を廻り、星田、四条畷とほぼ3分の2程を一気に自転車で回った。その途中寝屋地区にある寝屋神社にお参りした。ここはこの地区の鎮守で常時は社務所に人がおらず、正月も20日近くなれば誰もお参りがなくひっそりとしていた。
なだらかな階段を上り拝殿に 鳥居の奥に古めかしい灯篭が2基
拝殿全景 拝殿の奥の神殿

平成22年1月15日 菅原神社

正月にのんびりし杉おまけに食べ過ぎて少し太り気味になったので、歩きを始めようと思い立った、同じ歩くならと寝屋川市の外周を歩いてみようと13日より開始をした。最初は住んでいる萱島から門真市、守口市と隣接する南西から西方面を歩いた、毎日1時間ほどと決めて歩き出したが帰りの時間を見ておかないといけない事と、2日目から昨日の地点までの移動をどうするか考えた末、自転車で前日地点まで移動してある子事を考えたが、また元に戻らなければならず不合理さを感じたので、自転車で家まで往復する事に切り替えた2日目からは北側の淀川河川敷公園を東に向かって自転車で移動した、15日は枚方市に隣接っする手前まで行く事ができた。帰りに菅原神社の横を通るのでお参りをして帰った。
不動13号線沿いにある 境内は整然としている
今日はどんど焼きが予定されている 境内の牛には布団が奉納されていた
境内に祀られる琴平神社 境内にある稲荷大社

平成22年1月1日 初詣

昨年は就職をした3男が家を出て自立した、その3男が大晦日に帰ってきて明日夕方まで付き合えるというので、除夜の鐘を聞いたあと氏神さまからお参りをする事にした。例年同じコースなのだが近くの萱島神社を皮切りに、産土神社、友呂岐神社、成田山をお参りすると既に3時になっていた。朝まで寝ることにしてお祝いの後毎年お参りをしているあびこ観音、四天王寺をお参りして初詣は終わった。
四天王寺
中門から五重塔を望む お盆やお彼岸に比べると少ないお参り
六時堂前には沢山のおみくじ 開運を祈り沢山のお参り
あびこ観音
今年は例年より多く感じた 熱心に商売繁盛を祈願
本堂前にて 本堂周囲の諸堂をお参り
産土神社
かなりの参拝客が来ていた 鈴を振るのに順番待ち
友呂岐神社(成田山近くにある)
結婚後この近くに住まいしていた 子供たちの節目にお参りした
本堂近景 成願稲荷が祀られている
成田山
多くのお参りがある 本殿まで長蛇の列
本殿前も多くの人 ワンちゃんもいっしょにお参り
萱島神社
お参りの長蛇の列 写真だけでお参りは帰りに

大阪の寺院巡りへ戻る