摂津国八十八箇所巡拝13日目
2005年7月16日(晴れ)
今日は大阪市西区南堀江に友人が「銅板画展」を開催しているので見せてもらいがてら市内の寺院を巡る事にしました、私の巡拝方法は巡れる時期に巡れる地域からを徹していますので、順番どおりには行くことが出来ていません、今回は近鉄難波、日本橋、地下鉄千日前線西長堀駅周辺に行きました。 |
札所番号 | 寺院名 | ご本尊 | 所在地 | 巡拝方法 |
第 1番 | 志宜山 法案寺(日本橋聖天) | 薬師如来 | 大阪市中央区島之内 | 徒歩 |
第 2番 | 七宝山 大福院 三津寺 | 十一面観世音菩薩 | 大阪市中央区心斎橋筋 | 徒歩 |
第 3番 | 蓮池山 和光寺(あみだ池) | 一光三尊阿弥陀如来 | 大阪市西区北堀江 | 徒歩 |
第29番 | 毘沙門天 | 大阪市浪速区日本橋 | 徒歩 | |
第30番 | 松園山 竹林寺(千日のお大師) | 阿弥陀如来 | 大阪市中央区難波 | 徒歩 |
摂津国八十八箇所巡拝を巡拝を初めて1年近くになりますが、ようやく第一番を巡拝することが出来ました。大阪市内なので何時でも行ける様に思うのですが、これがなかなか行けないのです、今日は第一番を巡りようやくスタートしたような気分になりました。ここ法案寺は今から1400年ほどの昔、推古天皇の御代(593〜628)に聖徳太子は志宜野(現在の大阪市城東区鴫野)に当寺を建立された。その地名から山号を「志宜山」とし、また、仏法弘通の公案をせられたところから寺号を「法案寺」としたという。明治維新の時の廃仏毀釈により、寺領を失った当寺の住職・達栄は本堂の聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、明治12年6月南区島之内2丁目の現在地に再建復興したが、昔から比べると全く狭くなった。その後昭和20年3月の大阪大空襲のとき再び炎上、堂宇は灰燼に帰すという悲運にあう。幸いに聖観音、歓喜天は焼失をまぬがれ、今は仮本堂にまつられている。 |
街中のお寺で回りはビルに囲まれています。
地下鉄・近鉄・南海難波駅から歩いて数分おところにある、街中にある鉄筋3階建てのお寺。この建物は御堂筋の拡幅工事のときに移転新築されたもので、その様式は、古来の伝統美と洋風のおりなすコントラストが美しい調和を表現しているして高い評価を受けている。昭和20年3月13日、B29の大空襲によって大阪市内は灰燼に帰し、当寺周辺も一面の焼野原と化した。しかし、当寺だけは本尊・十一面観音のご加護も厚く、被弾はおろか、類焼さえもまぬがれることが出来たのである。当寺の本堂は、徳川末期に建てられたものと伝わり、本尊の十一面観世音菩薩、脇仏の薬師如来・弘法大師の木造(重要文化財級という)が安置されている。本尊十一面観世音菩薩は秘仏になっている。 |
本堂と左側3階建て鉄筋コンクリート造りの堂宇、
本尊の十一面観世音菩薩、脇仏の薬師如来・ 弘法大師像がまつられている本堂
地下鉄千日前線・西長堀駅から直ぐの所に立派な本堂の屋根が見えてくる。そこが和光寺である。和光寺というより「あみだ池」という呼び名のほうが一般にはなじみが多い。江戸時代には当寺は本堂のほか観音堂、普門堂、愛染堂、薬師堂、抹香地蔵、閻魔堂、地蔵堂、金銅地蔵、鐘堂など、多数の伽藍を有する由緒ある巨刹であった。昭和20年3月13日、B29の大空襲によって諸堂が全焼、灰燼に帰した。昭和36年に鉄筋の本堂が再建され、今に至っている。 |
今でも工事が続き境内は業者の駐車場になっていた、これ以上のいい写真は取れなかった。
本堂右手には本田善光がこの池から阿弥陀如来をお救いして長野の善光寺にお祭りしたと伝わることから
「阿弥陀池」と言われる池があり、中央には放光閣という宝塔が立てられている。
当寺はもとは四天王寺の東北方、筆が崎にあり、宝満寺の末寺で崑崙山大乗坊と号していた。しかし天文、天正年間採算の兵火にかかったため、当時の住職・秀言律師が本尊の毘沙門天の仏頭を奉じて、文禄年間(1592〜96)難波村名呉街(現在の日本橋)にのがれて大乗坊一坊のみ再興した。その後寺勢大いにあがり「摂津名所図絵」などに浪速名所の一つとして長町毘沙門堂の名が上げられるようになった。数少ない浪速の毘沙門天ということから「日本橋の毘沙門さん」として人びとの信仰を集め、今に至っている。第二次大戦の戦禍で全焼の悲運にあったが、幸い本尊は焼失をまぬがれる事が出来た。 |
本堂と寺院ビルが密接しており、見る方向から外観は寺院と感じない部分もある
このような部分は寺院であるが
右端の写真では寺院を感じない、街中のお寺である
寛永14年(1637)上本町から移ってきた法善寺と慶安2年(1649)建立の竹林寺ではそれぞれ千日回向を続けたために、市民は両寺を千日寺と称し、南の墓所に通じる道の両側は千日前と呼ばれるようになった。その千日前の角にある当寺は多宝塔はあるものの本堂はビルの一階にあり多くのお参りの人でにぎわう。 |
ビルの一角にあり人の流れも自然に境内へ行っていた。
なんば方面から歩いてくると千日前の通りが見えてくると突然多宝塔が現れ、そこが竹林寺である
竹林寺から三津寺に向かったが千日前筋を直進し道頓堀に向かって進むと道具屋筋には吉本もある
さらに進んでいくと見にくいが法善寺横丁(この先には水掛不動があるが今回はパス)
有名な食い倒れ人形を見て道頓堀にいたる、道頓堀は大きく変わっており、遊歩道が両岸に出来ていた
たまたま天神祭りの船渡御の練習船が鐘太鼓を鳴らし航行していた、ビルの壁には観覧車が出来ていた
道頓堀も阪神タイガース優勝時の飛び込みで有名になったが、変化をしつつあった