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摂津国八十八箇所巡拝16日目
2005年10月10日

寺院名をクリックして下さい、写真に移動します。

札所番号 寺院名 ご本尊 所在地 巡拝方法
第52番 帝釈寺 帝釈天 大阪府箕面市粟生外院 自家用車
第53番 善福寺 十一面観世音菩薩 大阪府箕面市粟生間谷西 自家用車
第54番 勝尾寺 十一面千手観世音菩薩 大阪市住吉区帝塚山東 自家用車
第55番 龍安寺 弁財天 大阪府箕面市箕面公園 自家用車
第56番 宝珠院 如意輪観世音菩薩 大阪府箕面市如意谷 自家用車

帝釈寺

 

当寺は聖徳太子にゆかりの霊場と伝えられる。太子が四天王寺を造るにあたって、その料材をこの地に求めた時に太子の御夢枕に八面八腎の鬼神が若干の容貌端整の天女、数多くの童子を伴って現れ、こう告げられた。「この深山の良木伐採のこと、ここは是れ我遊戯居住の地なり、よってこの地に一院を建立し仏道弘道を志願とせば、志願成就の繁栄を永劫に奉らん」と。そこで、太子自ら帝釈天の霊像を一刀三礼し刻したと言われている。この聖徳太子御作の帝釈天王が御本尊であり、ほかに弘法大師御作と伝わる毘沙門天および弁財天が各一体ずつ祀られている。山門は赤門と呼ばれているが、今では赤色は残っていない。

 
本堂風景                       境内風景稚児太子像
 
境内風景ふれ愛観音像、体の悪い箇所を触れて直して頂くようで黒光りしています。六地蔵尊
 
境内風景、不動尊像、帝釈天の降臨の松(樹齢1200年)が遭ったがS30年寿命で植え替えられた。

善福寺

 

当寺の縁起を尋ねると、宝亀8年(888)光仁天皇の御宇、開成皇子勅願により建立された。このとき、兜率内院外院を建てられ、勝尾寺を内院として外因に6ヶ寺をおかれた。当山はその一ヶ寺である。

 
古めかしい本堂とその前にある不動尊像
 
小雨が降りお墓の上に虹が立ちました(街灯の上にうっすらと見えますか?)

勝尾寺

勝尾寺の草創は古く奈良末期にさかのぼる。古記によれば創建は神亀4年(727)善仲、善算と言う双生児の兄弟が入山、草庵を構えて修行されたことにはじまる。その後、天平神護元年(765)二人が後ろの峰へ行ってみると山上には既に修行の人が居た。いかなる人ぞと問うと、この人こそ光仁天皇の皇子開成皇子だった。皇子は両上人にあった事を喜び、その仏弟子となった。宝亀6年(775)開成皇子は般若台に大般若経六百巻を埋経し、一寺を建ててこれを弥勒寺と号された。堂宇は出来たが本尊がまだ無いので心を悩ましていると、図らずも八尺の白檀木が手に入った。そして「妙観」と言う観音化身の比丘が、18人の童子を伴って来られ、宝亀11年(780)7月18日から8月18日の間に、身丈八尺の十一面千手観音を彫刻され当山の本尊となった。ちなみに観音様の縁日が18日と言うのは、ここに始まっている。


山門を入り右側にある弁天さん                 多宝塔を望む

多宝塔に向かって本堂を目指す、現在の本堂は淀君が建立されたもので、ご本尊
十一面観音も同時代のものと言われている。

龍安寺

修験道の根本道場として名高い当寺は、斎明天皇4年(658)役の行者によって開かれた。役の行者は箕面の滝のもとで苦修錬行をし秘法を感得し、修験道の奥義をきわめたが、そのとき弁財天が現れて開悟の助けをされた。それで報恩のため堂宇を建立、弁財天を彫刻して安置し、箕面寺と名づけた。役の行者が25歳のころと言う。こうした由緒から当寺の弁財天は日本最初の弁財天といわれ、竹生島、江ノ島、厳島の弁財天とならんで”四所弁天”とも称されている。

 
境内にある修験根本道場の碑、本堂遠景
 
本堂は織田信長の兵火で焼失したが現在の本堂は明暦2年(1656)再建されたものである
 
境内には大黒天堂や沢山の堂宇が建てられている

宝珠院

当寺の寺記によればこう記されている。その昔、弘法大師が諸国を遍参していた折、河内国錦部郡において一人の老僧にあい、こう告げられた。「摂津国豊島郡に如意輪有縁の霊場あり、よろしく寺院を営むべし」とこの老僧こそ役小角の再来であり、弘法大師は当山に登って如意輪大悲尊像を一刀彫刻して真言を誦し、三礼をなし名号を唱えて三日三晩かかって彫り上げた。そして寺院を創設して、その冷蔵を安置した。もとは如意輪寺と称していた。応仁の乱での兵火に遭って伽藍はことごとく灰燼となって、旧観は全くその影を没してしまった。塔頭の一つであった宝珠院のみが、ようやく草堂を営んでその法燈を継続し、寛文五年(1665)に僧秀盛によって本堂と古裡が再建されたのであった。現在の本堂と古裡は昭和59年に復興したものです。山門は無く掲示板が本堂へ導いてくれます。

 

 
境内に入り気が付くのは花が一杯植えられている事です、今は咲いている花は少ないです
 
時期はずれではなを付けているものが少なかったですが、花の時期に又来たくなりました
左側が本石楠花、右側がしゅうめい菊だそうです
 
庫裡の裏にはきれいに手入れされた庭がありました

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