摂津国八十八箇所巡拝22日目
2006年5月6日
札所番号 | 寺院名 | ご本尊 | 所在地 | 巡拝方法 |
第63番 | 大空寺 | 延命地蔵菩薩 | 兵庫県伊丹市野間6-5-5 | 自家用車 |
第67番 | 久安寺 | 千手観世音菩薩 | 大阪府池田市伏尾町697 | 自家用車 |
第71番 | 中山寺奥の院 | 厄神明王 | 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1 | 自家用車 |
当寺は聖武天皇の御代(724〜49)に、行基菩薩によって創建されたと伝えられる。その後帝享3年(1686)の縁起書によると、織田信長の荒木村重討伐の際兵火にかかり、藤原時代の本尊・聖観音菩薩を焼失してしまった。これを嘆いたその時の住職が、本尊・聖観音菩薩の脇侍であった毘沙門天・延命地蔵菩薩のうちの延命地蔵菩薩を本堂におまつりし、聖観音菩薩像を再興し観音堂に安置し、その脇侍として、不動明王、毘沙門天、そして伊丹7福神の一神に数えられる布袋尊がまつられている。山門を入ると立派な鐘楼堂(鎌倉時代の代表的な建築物といわれ市の文化財に指定されている、と解説本に有るが、先の阪神大震災で本堂ともに倒壊し再建されて真新しくなっている)また境内に樹齢数百年と言われる20m程の長い枝を伸ばした立派な松が有るが、この松は震災にも負け無かったとの事であった。 |
山門と後ろに見える屋根は鐘楼堂
震災の倒壊後再興された本堂 同じく鐘楼堂
右手の本堂左手の観音堂前にて 立派な枝振りの松
国の重要文化財となっている楼門は垣根で囲われて通れないが横に有る通用門から入る事になっている、門を入ると山門両脇にはアジサイが植えられており今の時期は残念ながら葉っぱの青さを見るだけである、花の寺と言われるだけあり境内は奇麗に手入れされ季節の花が咲き誇っているさまを思い浮かばせる。受付で入山料(300円)を払い、ここで納経をお願いしおまいりに進む参道を底氏歩くと右手に薬師堂左手に鐘楼が見えてくる、鐘楼の置くが本堂になっている、本堂の左手に有る回廊をくぐり裏手に進むとボタンとハナミズキが咲き誇っており盛りにはすばらしい景色が見れると感じた、今はボタンがまばらに割いている。ひとしきり花を眺めさらに参道を進むと新しい舎利殿涅槃堂が見えてくる、そこをお参りして参道を戻り鐘楼横の秀吉の腰掛石を見て御影堂におまいりし門前の食堂「かやの木」にて昼食をとり下山した。 |
重要文化財の山門
参道脇にはアジサイが植えられている 本堂近景
薬師堂 本堂 舎利殿涅槃堂 御影堂
本堂裏手のバン池周辺 ボタンとハナミズキ
慶長8年(1603)に豊臣秀頼が中山寺を再建復興するまでは、奥の院が当寺の大伽藍であったと伝わる。応神天皇の御代(270年代)巷に疫病が流行した。そこで天皇は吾孫子の峯(今の中山寺奥の院)に使いをつかわされ、天神地祇をまつり、悲運の皇兄・忍熊皇子の鎮魂供養をされたところ、疫病はたちまち治った。これが日本最初の厄神明王の草創である。 |