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塔街道霊場巡り5,6日目(H22年11月14~15日)

札所 第12番 大悲山願成就寺 慈眼院(じげんいん) 多宝塔(国宝) 14日参拝
ご本尊 大日如来金剛界
ご詠歌 ありがたや いぜきのみずの わかれぐち さくらのむせぶ ところなりけり
走書き 慈眼院は、天武2年(673)天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨によって創建された泉州の最古刹である。創建当初は、井堰山願成就寺・無辺光院と呼ばれていた。天平年間になると、寺領に1千石が加えられ、聖武天皇の勅願寺となった。弘仁6年からの2年間は、宗祖弘法大師のご留杖により、多宝塔、金堂の造営を始め、一山がことごとく整備され、鎮護国家の道場にふさわしい輪奐の美を誇るところとなった。その後はたび重なる戦火に盛衰を繰り返すこととなったが、江戸初期の寛文年間には、岸和田の領主岡部侯の帰依を得て一山の大営繕が行われた。その時、総法務宮であった京都仁和寺の性承門跡より「慈眼院」の院号が下賜され、仁和寺の末寺となって今日に至っている。 と公式ホームページにありました。(掲載させていただきました)
ご朱印      
思い出
国宝多宝塔 国宝金堂
多宝塔内大日如来の解説 事務所の裏手に金堂、多宝塔がある
札所 第6番 万年山 慈尊院(じそんいん) 多宝塔 15日参拝
ご本尊 弥勒菩薩(弥勒堂内)
ご詠歌 いまもなお にょにんねがう じそんいん みろくぼさつぞ あおぐひとびと
走書き 当院は、西暦816年(弘仁7年)弘法大師が高野山開創の時に高野山参詣の要所に当るこの地に、表玄関として、伽藍を草創し高野山一山の庶務を司る政所を置き高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所とされた大師の御母公が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念からご高齢にもかかわらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた承和二年二月五日に、御母公入寂なされた時に大師は母公が弥勒菩薩におなりになった霊夢により、廟堂を建立して御自作の弥勒仏と御母公の御霊を安置された慈尊とは、弥勤菩薩の別名で、これより慈尊院と公称しています。と慈尊院紹介にありました。(タウンページ掲載、慈尊院から借用)
ご朱印  
思い出
山門に生える紅葉 残念多宝塔は解体修理中
完全に解体中 写真で姿確認
弥勒堂に弥勒菩薩(ご本尊)が祀られる 境内風景
札所 第11番高野山 金剛三味院(こんごうさんまいいん) 多宝塔(国宝) 15日参拝
ご本尊 阿シュク如来(多宝塔内)
ご詠歌 はるばるとこそ こんごうさんまいの たふときのりに あうぞうれしき
走書き

金剛三昧院は、尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。高野山のメインストリート「小田原通り」から、ひと筋奥まった、静かな環境にある宿坊寺院です。本尊の愛染明王(あいぜんみょうおう)は、恋愛成就の仏様として、様々な縁を結んでくれるといわれています。また、国宝・多宝塔をはじめ、重要文化財の経蔵、四所明神社など、数々の歴史的文化財を擁しており、高野山の世界遺産登録にあたっては、根幹となる寺院として重要な役割を果たしました。高野山の中でも、いにしえの面影を色濃く残した名刹であり、鎌倉時代の風雅をそのままに伝える格別な雰囲気をたたえています。とありました。(金剛三昧院公式HPより借用しました)

ご朱印  
本堂左に天然記念物大シャクナゲ 経蔵(多宝塔と同年代に建立される)
国宝多宝塔(阿?如来が祀られる) 多宝塔のいわれ